あなたにここにいてほしい
ライブレポ(食レポみたいな回もありましたが)を少しお休みして
最近ガンズのライブで演奏されている、Pink Floydの「wish you were here」の歌詞でわからないところがあったので和訳を検索して、あるブログにたどり着いたのですが(というかいつも拝見している対訳をたくさん掲載されていらっしゃる方の…検索すれば一番最初くらいにヒットすると思います)
記事後半に対訳の修正版が掲載されていて、なぜそれが掲載されたのかその経緯も読み、実際にコメ欄の、管理人さんとそれを読んだ方々との一連のやり取りも拝見しました。ようは、歌詞の受け取り方についてのさまざまなやりとりが繰り広げられていたということなのですが。
対訳って奥深いなあ、とますます思いました
どこまで作者の意図を汲み取れるかというのは重要なことだけれども、決してそこにとどまらないんですね
詞という特別な表現方法であることを考えると、別の言語に置き換えると言う行為はただ機械的に済まされることではなく
行間まで読み取る読解力、さらに美しい(?という表現が適切か自信がありませんが)日本語に置きかえる能力と語彙、文才も必要だし、なんなら作者の、その作品を作成した頃の背景を知ってるか知らないか、時代背景、その空気感…それを知っているかどうかも大きく関わってくる。
別に背景を知っていることが正しいのではないし、そういう背景知識がない方が訳したものが逆に「なるほど…」と感じるときも多い
もういろんなことが交わって交わって、ある対訳が完成する。
それぞれに作品を通して見ているもの感じているものっていうのは、どうしたって自分というフィルターを確実に通っていて、微妙な差があることがまた美しいなと思うし、それはとても自然なことで健康的なこと。
ひとつの「作品の解釈」が置かれたら、共感するひともいればそうじゃないひともいる。
例えばここに、
アクセルが作ったEstrangedがあって、
わたしにはわたしのEstrangedがあって、みんなそう。
私のEstrangedはものすごい孤独感と海の景色と終わりそうな恋にまつわる切ない思いがセットになっています。聴く時時で変わることもあるし、変わらず目に浮かぶ色もある。
聴くたびに歌詞に表現されているアクセルの気持ちを思うし
それぞれが聴きながらいろいろなことを思い出している
それが美しいと思う
いつか自分が思うEstrangedの訳を完成させてみたいな~
アクセルがあまり曲の背景や意味について語らないのって、そういうのを大事にしているからなのかなあとちょっとだけ勝手に思っています
固定したイメージではなく、それぞれが受け取ったもの、それでいいんだよ
みたいな
でもわたしは英語のニュアンスがわからないところたくさんあるから
ほんとその狭間が異常に切ない
その切なさがずっと追っかけている理由の一つになってるのかもしれないけど。
日本語同士でも、伝わらないわからないことは山ほどあり
歌の解釈は人の数だけある
正確文法的解釈や語彙、イディオムの知識プラス、自分が受け取ったものをかたちに(それは別に言葉でだけじゃなく、いうんな表現方法があります。普段の行動かもしれないしね。)
かたちにできる力がほしい それには努力しかない
なんのための努力か…理由ってわからない。
ただひたすら好きだからですけどね(笑
Wish you were hereをいまライブで演奏している意味を、イジーの不在に重ねて捉えているところはあるけど、このチョイスにいろんな解釈を持てたり思いを馳せたりできるのも、ファンのたのしみであります。
わたし、こういう話何度も何度も文にしたりツイートしたりしちゃってますが、それだけこの訳す、ということに関してすごく興味があるんです。そして毎回、大好きな曲を聴くたびに、勉強足りないなあ…って思います。
もちろん、
「あなたにここにいてほしい、あなたがここにいたらなあ。直接、どんな思いで書いたのか、歌ってるのか、聞いてみたい」って思いもありますけどね(笑