満月の夜に

2017年09月07日 05:39

 

ガンズじゃない話です

 

今日、亡くなって初めてだと思うけど父が夢に出てきた。

実家の、いつも座っていた場所に
いつもみたいに優しそうな顔で微笑んではいるけど
さびしいでもない、なんだか諦めたような悟った顔をしてた

元気いっぱいのときではなくて、
身体が弱って、もうあまり外に出歩かなくなった頃の父だった。

あれ、お父さん生きてる?という驚きもなく
私はなんだか
「なにか食べたいものない?最近『あれが食べたいな』とか言わないから…
果物とかどうかな、なんでも買ってくるから…言ってみて、食べたいもの」
みたいなことを言ってた

父はなにか食べたいものを言ったような、言わないような。はっきり覚えていない

それから
「外出疲れちゃうかな、最近あんまり出かけてないよね
 車に乗って、畑でも見に行こうか。行けそう?」

みたいなことを訊いて

父は「そうだなあ・・・・」って微笑んで言うだけで

きっと、行きたいな、でもしんどいかな、と考えているんだろうな
と思いながら返事を待っている間に目が覚めた

あ、夢か。夢…

窓の外がすごく明るくて、なんでだろう
そうか、今日は満月だったと思い出した。深夜二時半くらいのこと。


満月の夜に夢に出てくるなんて、なにか私にお願い事でもあったんだろうか
気になることでもあるんだろうか…

それとも気にかけてくれたのかな

お父さん

と口に出して言ってしまったら、自分の言葉がスイッチになって
いい歳して小一時間ぐずぐず泣いた(笑)

で、もう、眠れなくなった


父がいた頃のことをいっぱい思い出した。

いつも文庫本を読んでた姿、テレビの野球中継を真剣に見てた顔

最近、野球を見に行く機会が何度かあって
観客のたのしそうなざわめきを感じると
かならず父を思い出して一瞬泣きそうになる

ここにもしいたら、きっと喜んだだろうなと。



父は、ああしろこうしろということを一切言わなかった
アドバイスとか、そんなことを話したりする人じゃなかった

ただすごく気にかけてくれてた いつもいつも。


あんなに自分を気にかけてくれる人は、もういない
欠点だらけの私を全部そのまま受け止めてくれた人

そんな存在はもうこの世のどこにもいない。

 

人間関係は基本シビアなものだと思う。

でもそれでいいのかな、そうじゃないと、私もいつまでも成長しないんだろう。

シビアだけど、

毛布みたいな存在がいてくれたという記憶は、

ギリになったときに、踏みとどまらせてくれる

 

私は今、今までの自分だったらしなかった選択をたくさんしています
正しい正しくない、だけじゃなく
したいかしたくないか、楽しめるかどうか、にできるかぎり傾く

でもそれにまだ慣れないから、選択したあと割と迷う
迷うし、選択に疲れることもある

どっか無理しちゃってるような気もする、けど違和感って変化のプロセスにつきものだよね

時々、おかっぱで黄色い長靴の、
本を抱えひとと目を合わせるのが苦手だった子ども時代の自分が
「こんなことしていいの?合ってるの?誰かに迷惑かけてないの?」と聞いてくる


残りがどれくらいある人生かわからないけど
確実にいつか死ぬことは決定してて、それもそんなに遠くないし。

誰の人生なんだろ?と思うことが増えた

人がどう思うだろうか。嫌われちゃうだろうか、見下げられるだろうか。

そういうのがなかなかに怖い

 

だけど嫌われたからって傷つくのは傲慢なんだよな

誰からも嫌われない自分だと思ってるわけ?と自問自答する

 

誰かの態度や言葉に傷ついても

ほらね、こういうリアクションこそがあなたの価値のなさを物語ってるでしょ
あなたが足りないから。あなたが悪いから。

なのに傷つくこと自体が傲慢なんじゃないのと自分に話してる。

 

それに慣れてるから
「それでも悲しかったね」とか
「認められなかったけど、自分なりには一生懸命だったんじゃないの…」
とかそういうふうになかなか自分には声掛けられない 

だけど、父があんなに気にかけてくれた自分、って考えると、少し認めてあげないと申し訳ないかなと微かに思う

 

嫌われることも、たまには好かれることも、

どちらもデフォルトなんだとちゃんと腑に落とせば

 

嫌われて当たり前のふがいなさはあるけど

「そうだねそれでも割と傷ついたね(笑)」って自分にちょっと言えればいいんじゃないのか

ようはバランス。。。


父が夢に出てきたことで、いろいろ考えちゃった


あっという間に外が朝になってる
深夜テンションで書いたこの文章はきっと読み返したら笑える

満月が明るい空に溶けてはっきり見えなくなっても、月はなくなってない

見えなくても居たりあったりするものはいっぱい



こないだ、妖怪百物語につづいて、月岡芳年の月百姿展を見ました
どれも素晴らしくてこれが最高というのを選べないほど。

月の姿を描かない でも月をひしひし感じる絵がたくさんあった。

水面に輝く月光、悲恋に絶望して身投げしてしまう有子の絵は相当涙腺にキた。

 

 

繊細を極めた、洋と和の絶妙なブレンド、神業でしかない構成と表現
ワンシーンを切り取っただけなのに溢れ出る物語

 

物語の時代の人たちは、切ない思いをどれだけ月に託したんだろう

 

会いたくても会えない、思いを伝えるすべもない、

そういうのが、今よりもっとあったと思うから。

 

描かれた人物の心が自分のことのように感じられる
いっぱい涙ぐみました
ほんとに、こんなにすごい人だとは今まで…


月は悲しくて綺麗で優しいです

どの季節の月も素敵
どの天気の中にあっても月は素敵

形を変え、色を変え、でも変わらずそこにいる

自分も年をとって、形も色も変わりました
鏡を見て、ため息をつくことばかりです

月が、どう変化してもどの風景のなかにいても

素敵なことを時々は思い出して

変わっていく自分も、そんな風でいられたらよいなあ

朝です 朝ごはんを作ります
次はロンのライブに行ったことを書きたいな笑