One year

2018年01月21日 23:09

 

2018年になってもう21日が過ぎました。

 
去年の今日、私は大阪でガンズを見ていました。
 
今日のツイッターのTL見ていたら、
「去年の今日は・・・」って書いてる方がたくさんいらした。
思い出しますよね。
 
1年って早いです。
 
今日は電車に乗りながら、あの日のことを
感覚で思い出していました。
 
あの日どんなことがあったかなと考えると、
最初に浮き上がってくるのは"感覚"です。
 
早朝の東京駅の空気
 
新幹線の中の匂い
友達の横顔
巻いていたマフラーの肌触りや、冷たかった足先
 
 
照明が落ちた会場の青暗さ
低音が作り出す空気の振動
 
金髪の柔らかなうねり
 
ライブを思い出すとき、アクセルの歌っている姿は見えるけど、
音はあんまり聞こえてこない。
音と視覚の記憶は、記憶の中で分離されるんでしょうか。
 
みなさんは、
ライブの映像と音が一緒に浮かびます?
 
わたしの大事なライブの思い出は、割と無声映画のような状態です
 
奏でる音楽を思い出すときは、
なんとなく音だけを拾って思い出してる気がするんですよね…説明し難いけど
 
 
人との会話はちゃんと覚えていますよ。表情もね。声も。視線も。
伏し目がちだったり、溢れるような笑顔だったり。恥ずかしそうだったり。
いろいろです。
 
 
お酒飲んだ後、ひとりになってからの
知らない街のにおい
オレンジの看板
 
タクシーの窓から見える知らない景色
運転手さんの後頭部
 
深夜、宿に戻ってバスタブに浸かったときの
換気扇の動きに微かに振動する水面
その
その静けさと
自分の中の高揚感のギャップとか
備え付けだったよくあるシャンプーの安い匂い
 
 
そういうものばかり思い出します
 
 
時間が経ったら、忘れてしまうんだろうなという感覚もあって
取っておけたらいいのになと思う。
 
ずうっと昔に見たライブの記憶も、映像に音は伴わないけど
感覚の断片ははっきりと残っている気がするから
残るものは、残るんでしょうね。
 
 
ライトが当たったアクセルの瞳が透けるような淡い緑だったことも
ため息混じりに思い出しています(笑
 
最高で素敵で、切ないような夜でした
 
あの切なさはどこから来るものなんでしょうね。
 
一瞬一瞬の大切さを身にしみて感じるからかなあ。
 
普段、この瞬間を大切にしたい
って強く強く意識したりあんまりしないじゃないですか。
 
なんとなく、流れに委ねているから。
 
ライブの時って、特別でしょ。大切でしょ。
砂のように落ちる一秒一秒を全部
ぎゅっと握っていたいくらいだけどそれはできない。それが切ないんだろうか。
 
手元に残るチケットの半券より
ガンズと、みなさんと、一緒に過ごせた時間の中の
形にできないもの、感じたものがとてもとても大切に思えます。
 
音楽を聴きに行ったのに、こんなのおかしいんですけどね。
 
大阪は、温かい匂いがしました。
同じ時間は二度と味わうことはできないけど、
新しい時間がまた持てたらいいです。
 
その時は、どんな感覚が自分の中に残るんだろうな。
 
一年記念なので、遠慮なく、気持ち悪いことをたくさん書いてみました。
串揚げは美味しかった。。。。。